こんにちは、今回は「子育てでは子供に手をあげないことが大事」というテーマでお伝えします。
子供は言葉をしっかり理解してくれる
私が子育て時代を通じてこれだけはやらないでおこうと決めていたことがあります。
それは『手を上げない』ということです。『手を上げる』とは、教育のために叩くということですね。
「どんなことがあっても叩かないでおこう」と子供が小さいときに思いました。
それはなぜかというと、子供を叩くとき、叩いた後の自分の気持ちを考えてみると、
どうしても「しつけ」なんて気持ちのいいものではないからです。
つまりは自分のうっぷんのはけ口でしかありません。
また、叩いたところで何も解決しないと感じたからです。
なので絶対に『手を上げないでおこう』と決めて実行しました。
自分の子育てだけでしか経験はありませんが、子供は親の姿をよく見ています。
もし親が攻撃的だったり、暴力的なら子供も真似をして同じことをすると思います。
ですが、我が家で手をあげないと決めていたのもあって何か意見の対立や喧嘩があってもしっかり話し合いの場を持てるようになりました。
このことは子供が大人になっても大事なので小さい時から意識して過ごす事が大事です。
子供に手をあげそうになったら一旦深呼吸が大事
私が子供たちに暴力を振るわない、と強く意識したのには理由があります。
実は私は、子供がまだ小さいころは結構、危ないことをしたり、2歳児のいやいや期にはパチンと頬っぺたにビンタをしていました。
私自身が母親に、体罰と称して叩かれたことが多かったからです。
それに男の子は体でいうことをきかせないといけないという、昔の風習みたいなものがあったのもあると思います。
ですがそんなある日、予防接種に行った帰り道、他の子供が自動販売機の前で、駄々をこねていました。
その子のお母さんが、自分の好きな飲料を飲みながら「これ以上うだうだ言ったら、また注射するよ!!」と空いた手でビンタをしました。
それを見ていて、なんだか嫌だなぁと感じました。「しつけ」とか「教育」とかいうレベルではなくて、お母さんのうっぷんを晴らしているという感じでした。
お母さんは自分の好きな飲み物をしっかり飲みながら、子供には駄々をこねたので罰として飲み物なし。それでも駄々をこねている子供にビンタまでしたのです。
「何をしているんだろう」と見ているだけで嫌な気分になりました。
それから私自身の気持ちを考えたときに、手を上げているときは、本当に冷静になっているのかと考えると決して冷静ではありませんでした。
カッとなっているときは、うっぷんがいっぱい詰まっているのです。
腹が立って、子供を殴ることで腹立ちを解消しているのです。
それからは、手を上げたくなった時に、一旦待って深呼吸をするようにしました。
そうすると、自分の気持ちがよく見えてきます。
子供の「しつけ」だったら、「親はこんな気持ちだよ」と話せばいいのです。話して伝えれば子供にも気持ちや感情は伝わります。
親が手をあげないことで話し合いで解決できるようになった
私は子育ての際に、子供たちに『手を上げる』ことをしないでおこうと決め実行した結果、子供たち自身も暴力とは関係のない考え方をしてくれるようになりました。
女の子なので手を上げたり、攻撃的になったりするのではないかという心配は杞憂に終わりました。
それと子供たちの幼稚園での友達への接し方、暴力沙汰を起こしたということは一切ありませんでした。
友達の中にもすぐに切れて、喧嘩をするという子はいませんでした。手を出すことを解決の方法にしないことで、話しあったり誰かに仲裁を頼んだりということはあるようでした。
幼稚園児の女の子は中々自分のことを話したがらないですね。私もあまり根掘り葉掘り聞く方ではないので、子供がどんな気持ちで子供たちの世界を送ってきたのかよくわからないところがあります。
それでも暴力的ないざこざがあると、友達からの噂などで知ることができます。今考えてみても、力に頼って問題を解決しないことで、話し合うことや、一人で考えることができたのではないかと思います。
すぐに手を出す子供もいる中で、自分は決して仕返しに殴り返すということもしませんでした。喧嘩は悪いことだとも教えていませんでした。
我慢の限界がきて、取っ組み合いの喧嘩もしたくなることもあったでしょう。ですが、実際にそのようになったことはありません。
また、兄弟喧嘩ですらも、取っ組み合いの喧嘩というのもしたことはありません。
小さな、頭ポカンぐらいはありましたが、大喧嘩まではいきませんでした。
基本的には話し合いで解決するようになりました。
私が決して手を上げないと決心したことが、長い年月、知らず知らずのうちに子供たちに伝わったのだと思います。
教育やしつけと称して、親のストレスを叩くことで解消している場合があるので、是非一度見つめ直していただけたらとお思います。